平和の旅  

 



第一回  田奈 弾薬庫跡      (こどもの国)      

(アンダーバーの付いたところを、左クリックしますと地図が出ます。
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 現在の「子供の国」、 ここは、東京都町田市と青葉区が接する所である。弾薬庫跡が在る。
 




 2008年3月26日、天気の良い中、大人18名・子供2名の参加で「平和の旅」の第一歩を踏み出した。

 
  
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  「田奈弾薬庫」は、田奈部隊が任務に就いていた。正式名称は「東京陸軍兵器補給廠田奈部隊」という。  

 ここは、東京・板橋にあった「東京陸軍兵器補給廠長」の指揮下にあり、「田奈弾薬庫」では、薬莢 に火薬を装填して前線で使用する弾丸を製造・保管する作業現場であった。




 都市開発以前の「子供の国」の地形は、草深い山村の姿で幾筋もの谷が丘陵に放射状の切れ込みを作 り、そこに農家が9戸点在しているだけの集落であった。この地形に陸軍経理部が目をつけた。

 1938年(昭和13)頃より秘密裡に用地調査や土地買収交渉が行われ、買収に応じない場合は「国家 総動員法」を楯に、移転費用にも足りない安値で買い叩かれ、農民の中には精神状態がおかしくなった 者さえ出た。 

 弾薬庫の建設は、多くの徴用工や朝鮮半島労働者を動員して急ピッチで進められ、1941年(昭和16) に、ほぼ完成した。




  こどもの国 職員より弾薬庫の説明を聞く参加者



弾薬庫の中は、60数年前のコンクリートに貼られた板が崩れ落ちている状態であった。







弾薬庫入り口に落ちていた薬莢(ヤッキョウ・弾丸を発射させるための火薬を入れる筒)



   「平和記念碑」

 1945年(昭和20)2月7日、初午祭正午前、引き込み線のプラットホームで出庫した棒地雷を馬車から 貨車に積み込み作業中、大爆発が起こり馬と6人の作業員が一瞬に肉片となって四散する事故が発生 した。肉片は人も馬も識別不能の状態であったので、バケツに拾い集め6等分にして遺族に引き渡した。

 この時、神奈川高女の生徒一名が、給食当番のため、たまたま通りかかって事故に巻き込まれ、 片足を切断する惨事となった。 


 爆発事故から51年経った1996年(平成8)3月、 「白百合の丘」 と名付けられた旧女子学生の休憩所のあった丘に、動員学徒有志が石碑を建立した。

 場所は、入園したところの右側に管理棟がある。管理棟の切れた所の右。短い石段をのぼり道路に出る。 道路の左に「平和の碑」と小さな案内板がある。石段を登った所に石碑がある。

 (目立たないところにあるので、あまり人が来ない場所である。)


 おもてには、「平和を祈る」と書かれており、裏面には「戦争のない世界を願って」と題する子供達へのメッセージが刻まれている。


 [「こどもの国」は第二次世界大戦中「東京陸軍兵器補給廠田奈部隊」と呼ばれ園内の森には高射砲 や手榴弾などの砲弾を作る工場とたくさんの弾薬庫がありました。

 戦争が激しくなった1944年から1945年、神奈川高等女学校の学生であった私たちは、国の命令で勉 強をやめ、この工場で砲弾を作る作業につきました。 その砲弾が地球上のだれかを傷つけるのではないかとても恐ろしい気持ちです。

 戦争を再び起こしては成りません。このおもいをこめて女学生休憩所跡の丘に平和を祈る碑を建て ました。平和な世界のなかで、こどもたちがのびのびと育ちますように]
 
 1996年3月28日 神奈川高等女学校(現神奈川学園)本科二十九回・三十回卒

                                   動員学徒 有志一同


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講師は、郷土史家の 綾部 宏 氏



   「遭難慰霊碑」

 1944年(昭和19)11月30日朝、横浜線・長津田駅から軍用トラックで田奈部隊へ出勤する学生達が、 「田奈弾薬庫」直前の住吉神社付近で対向の将校車を避け損ない奈良川へトラックが転落し、若い6名 の尊い命が失われる事故が起きた。

 勤労動員学徒達の無念を思い伝える「慰霊碑」・「祈念碑」である。横浜第二中学校(現 横浜翆嵐 高校)生徒の「遭難慰霊碑」 である。

 この碑は、以前、奈良川の遭難現場に建てられたが、道路の拡幅、および奈良川の護岸工事のため移 設され、住吉神社脇に移動させられたので交通混雑のため、あまり人目に付かなくなってしまった。

 碑が建立されたのは、事故から9年経った命日にあたる1953年、社会人となった同級生達が「慰霊碑 」を、故人を偲んで造ったものである。 

 【前面碑文】

    横浜第二中学校生徒の遭難をいたみて

    六つのみたま こゝにしづまる 田奈の川 花もふりそゝげ 雪もみだれよ

                              國學院大學教授  武田 祐吉


 【裏面碑文】

 昭和十九年、かの戦ひさ中に田奈部隊へ動員の吾が同窓勤務に赴く朝、はからざりきこの川渡りに 自動車覆りて、束の間に若き六人の生命を奪ふ。九度めぐり來し想い出悲しきこの日、昔の友がら  今泉正三・漆原光一・辻 義雄・鳥羽盛良・西谷基一・山口 渡 を悼みてこの碑を建つ

                          昭和二十八年十一月三十日

                             横浜第二中学校 二十八期生一同





「第一回 平和の旅」が無事に終わり、田名の総鎮守・住吉神社で冷たい物を摂る。



※ 資料 『子供の国と田奈部隊 − 田奈の森の光と影 ー』 郷土史家  綾部 宏 氏 作成。  



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