荏田米軍機墜落事件現場  



 
    荏田 米軍機墜落事件現場
 

 1977年(昭和52)9月27日、帰宅後、夕餉の前のウィスキーを飲みながらテレビ のニュースを点けた。荏田に米軍機が墜落したとの報道に、慌ててカメラをバックに詰め家を飛び 出した。

 折良く来たタクシーに飛び乗り現場に向かったが運転手は墜落現場を知らず、江田駅の近くで何人 かの人に聞きながら漸く現場近くに到着した。

 現場は、宅地造成中で民家は殆ど無くて暗かった。懐中電灯を持ってこなかった事を悔やんだ。一際 明るい場所が有ったので其方に向かった。

 しかし其処までは行けず、既に遠巻きにテープが張られて警察官が所々に居て、それ以上は入れな かった。警察官に聞くと「明るいところが 墜落場所 である」と答えた。「進入者の警戒のため米軍が 照明を点けている」との事も付け加えた。

 


 翌朝、早々と家を出て電車で江田駅に降りた。昨夜、帰って来てトライXを10本パトローネに入れた のを加えバックに入れての撮影である。フィルム30本有れば足りるだろう。

 墜落現場の近くでY新聞社の若手記者に出会い「米軍機墜落で火傷を負った幼児2人が死亡した事」 を聞いた。昨夜、気が付かなかったが立入禁止のテープは二重になっていたのである。外周のテープか ら30メートル位離れて張って有った。

 外側のラインには日本の警察官、内側には米国の憲兵らしい鋭い眼光をした軍服が現場を背にして腕 を後ろ手に組んで立っている。昨夜からの照明による監視から推察すると墜落機体には、漏れては成ら ない機密な部品でも有る雰囲気を感じた。




 幼な子が2人が死亡したと云のに、この笑顔は・・


 米軍の作業員の人数は多く、昨日、今日と大動員で大きな機体の破片や部品は集められたようだ。 しかし、足下には無数の小さな破片や焦げた木屑が散乱している。





 611と機体番号が付いている胴体。





 機体の破片や部品は、広い範囲の中で山積みされていた。 
 




 ジェット機の墜落の際、ガソリンの爆発により焼けて倒れたり、折れた木





 焼けた家を見に来た被災者  
 

 


 散乱するガラスを集める被害者の縁者たち 
 

 


 壊れた家で生活の跡を捜す女性   
 




 この男性も足下を気にしながら長時間、捜していた。   
 



 深さ4メートルから掘り出された機体部。





 米高官に抗議する被災者、左は通訳 



                 文責・写真  Q太郎 (写真の利用は、事務局に連絡下さい)


 下の「聞いてほしい話」から詳しい話が見られます。(クリックして下さい)


「港北区の住人」管理人さんのHP  (リンクを快くOKして戴きました)




パイロットがパラシュートで着地した場所


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