ペルー探訪記
予てよりマチュピチは、一度は訪れたいところと考えていたが、直行便がないため旅程が
長く、体力的に耐えられないと躊躇していた。
2015年春に娘達家族がいるアトランタとロスを訪れる機会があり、思い切ってアトランタ→ペルー→ロスの順序で回って、漸く念願を果たす
ことができた。(実際は、航空運賃の関係から日本からの航空会社をDL一社にしたので、ルートはアトランタ→ペルー→アトランタ→ロスと計画
したが、後述するトラブルのため、アトランタ→ペルー→ロスとなった。)
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旅行概要
行程:平成27年5月2日(土)〜5月7日(木)
(全旅程は、平成27年4月18日(土)アトランタへ〜5月22日(金)ロスから帰国
一日目
◆アトランタATLANTA 18:00発(DL151)―リマLIMA 23:40着
◆シェラトンSHERATON LIMA HOTEL 宿泊
二日目
◆リマLIMA 10:00発(DL151)―クスコCUSCO 11:00着
●クスコ市街観光(アルマス広場下車―昼食―石壁にはめ込まれた12角の石―サントドミンゴ教会)
◆クスコCUSCO―75KM/約90分のバス移動―ウルバンバURUBAMBA
◆サン アグスチン ウルバンバSAN AGUSTIN URUBAMBA HOTEL宿泊
三日目
◆ウルバンバURUBAMBA発 ―20KM/約30分のバス移動―オリャンタイタンポOLLANTAYTAMBO着
◆オリャンタイタンポOLLANTAYTAMBO発 ―約1時間30分の展望車移動―マチュピチュ村MACHU PICCHU着
◆マチュピチュ村Machu Picchu発 ―約30分のバス移動―マチュピチュMACHU PICCHUMACHU遺跡着
●昼から夕方にかけて、ゆったりしたマチュピチュMACHU PICCHU遺跡観光
◆マチュピチュ遺跡MACHU PICCHU発 ―約30分のバス移動―マチュピチュ村MACHU PICCHU着
◆マチュピチュ村MACHU PICCHU エルマピホテルELMAPI HOTEL宿泊
四日目
◆マチュピチュ村MACHU PICCHU発―展望車とバスを乗り継ぎ移動―クスコCUSCO着
◆クスコCUSCO発― リマLIMA 着
◆シェラトンSHERATON LIMA HOTEL 夕食及び宿泊
五日目
◆リマLIMA 早朝発1)―240KM/約4時間30分のバス移動―ピスコPISCO着
●ナスカの地上絵観光
◆ピスコPISCO発―240KM/約4時間30分のバス移動―リマLIMA着
●ミラフローレス区(新市街)見物
◆中華料理の夕食後空港へバス移動
ペルー内訪問先地図

[エピソード1]
ツアーならガイドに任せていいが、個人で空港からホテルへ行く場合、到着時間が真夜中になることが多い。空港を一歩出ると
客引きがすごいので荷物を離さないようにすることが肝要である。
空港から市内へ行くタクシーには3種類がある。カウンターで申し込むリムジン、タクシー・グリーン、無許可のタクシーで
ある。無許可のタクシーは、空港を出たところで客引きをしているので、関わらない方がよい。我々は、タクシー・グリーンに
乗ってホテルへ向かったが、空港からホテルまで街灯も、住宅もない、道路を暫く走る。どこかに連れ込まれても、SOSも発せら
れない場所が存在するということである。30分後にホテルに到着して安堵したが、不安な道中でした。
クスコ CUSCO
インカの都クスコは、標高3,399Mの高地にあり、高山病も心配される高さである。16世紀スペイン人の征服によりインカは
山奥へと追いやられた。
スペイン人の造ったものは、インカの礎石の上に建つ教会や邸宅であり、クスコを特別な町にし、建築様式を含む文化的価値が認められ、
1,988年にユネスコの世界遺産登録された。
マチュピチュをはじめ、クスコ郊外にはインカ時代の建造物が数多く残る。先ずは、カミソリの刃を1枚通さない精密なインカの石組、
カパックニャンと呼ばれ、インカの支配支配していた地域とクスコを結んでいた、インカ時代の道、アンデネスと呼ばれる段々畑は、
今なお人々の生活の糧を生み出す大切なものとなっている。
空港からクスコ在住の日本人ガイド松尾氏が、マチュピチュを含む、空港まで終始一人で案内してくれた。彼は、明大でラグビー
を遣っていたが、新日鉄釜石7連覇した有名な、3年程後輩であったと自己紹介した。日本人の奥様と共に長くクスコでガイドをしている
理由は、『山があるから。』ということのようであった。先ずは、アルマス広場に案内され、昼食となりました。
アルマス広場の全体で広場の賑わいと右側にカテドラルとラ・コンパニア・デ・ヘスス教会が見える。
次に訪問したクスコでの主な観光地の場面を紹介します。
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クスコでの昼食 | 英雄の像と キャセドラル |
教会 | 12角の石 |
サントドミング教会 |
上の小さな写真をクリックすると、下の窓に大きな写真が出ます。
ここをクリックすると元の説明文に戻ります。
ウルバンバ URUBAMBA
クスコから高度順応のため、クスコより標高の低い、標高2,871Mのウルバンバが次の宿泊地となりました。
クスコより75KM離れて、約1時間30分かかりました。
途中周りの山は、真っ白な雪を冠った山々が散見され、標高が高い所が多いことを改めて知ることができました。ウルバンバは、年間を通して
暖かな処、果物が豊富で、特に雨季の終わりは色とりどりの花が咲き、果物や野菜が市場にあふれるとのことです。クスコの市民にとってウルバンバ
は保養地であり、テニスコート、サッカー場などを備えた施設(Tambo del Inka)やプール付きペンションなど宿泊施設などがあります。
クスコからどんどんといろは坂を下るように降りて、突然盆地のような平地にウルバンバはありました。四囲を急峻な山に囲まれた、ウルバンバ
の街を丘の上から撮ったパノラマ写真を次に紹介しましょう。
西日を浴びて山々の陰影がよく分かりますが、左の方にウルバンバ川が流れているのが見えます。この川は目的地マチュピチを通り、遥か
アマゾン川まで繋がる大河の上流部分になっています。街は樹木も多く、グラウンドや体育館のような施設も見られます。
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ウルバンバの街を見下ろせる場所に展望台があり、どこの国の道路沿いにもある"土産物屋"があり、ペルーの
カラフルな手作りの土産物を売っていました。 | ウルバンバの宿泊ホテル"サン・アグスチン"は、
平屋で日本の瓦葺を思わせる建物でした。
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オリャンタイタンボ OLLANTAYTAMBO経由ペルーレイルPERU RAILにて
朝食を早く済ませてウルバンバのホテルを6:30位にバスにて出発、20KMほど離れたオリャンタイタンボ駅(標高約2,600M)
まで約30分で到着、ここからペルーレールPERU RAILで約50KM離れたマチュピチュに向かうことになります。
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ウルバンバからオリャンタイタンボ駅に到着したところでクスコからマチュピチュ往復を案内してくれた
クスコ在住の松尾氏が先導しています。 | 種子が大気に運ばれて電線にハリネズミの様な形をして
育っている植物であるが、名称など詳しくは説明できない。ご存知の方の情報を待って、補ってゆきたい。
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渓谷に囲まれたオリャンタイタンボ駅にバスで着くと故障で列車の到着予定がわからないという。情報が
なく、不安が過るが幸いにして、1時間程で列車が到着し、ホットする。 | 列車は、展望車で普通の
車窓の他、天井にも2列の窓があり、主として渓谷を走る列車から周りの山々も見ることができるようにしてあります。観光客が多いため、スナックや飲み
物も売られていました。
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[エピソード2]
天候も快晴に恵まれ、バスでウルバンバからオリャンタイタンボ駅に到着したが、ペルー・レイルの列車が予定時間になって
も到着しない。
前日マチュピチュに到着して、午前中マチュピチュ観光を行って、急いでクスコ経由で帰るツアーも多いと聞く。われわれは、
早朝にウルバンバを出発して、午前中観光客が多い、マチュピチュを先ず見て、昼食後も日没までゆったりと、世界遺産
マチュピチュを見るツアーである。明日は、クスコから一気にリマへ帰る予定である。こんな時、列車が到着しないという
ことは、折角の観光時間が減るということである。万一、夕方まで列車が来なければ、マチュピチュを見ないで帰ることに
なる。幸いにして、約1時間遅れで列車が到着して、安堵した。
世界遺産マチュピチュMACHU PICCHU
オリャンタイタンボ駅からペルーレールPERU RAILで約50KM離れたマチュピチュに向かうことになりますが、幸いにして1時間
程度の遅れでマチュピチュMACHU PICCHU(標高約2,200M)に到着しました。 列車を途中で降りて、インカ道をトレッキングする人もいるよう
ですが、1日当たり人数制限と公認ガイドを付けることが義務付けられています。 マチュピチュ駅は終点となっており、マチュピチュ村は世界遺産
マチュピチュのお蔭で観光の街となっており、主に土産屋とホテルしかない、財政豊かな、小さな街です。財政が豊かであることが直ぐ分かるのは、
毎晩夜になると町中が楽器を鳴らし、ドンチャン騒ぎのお祭りの行列ができることです。驚くことにマチュピチュ村にもラサール校があって、
朝になると通学風景を見ることができます。 マチュピチュ村からバスで約30分登ったところに世界遺産マチュピチュ(標高約2,600M)があります。
順序として、昼夜を含むマチュピチュの街から紹介しましょう。
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マチュピチュ駅を下車すると土産屋が立ち並ぶ街を通り、間もなくウルバンバ川に合流する支流を渡る橋
を渡って暫く歩くと、これと直行するメインストリートがあり、これに面して直ぐ宿泊する"エル・マピ・ホテル"は駅から近い所にありました。
| 松尾氏は、早速受付にてチェック・イン
時間になっていないので、乗客の手荷物を預ける手続きを行いました。一刻も早く、世界遺産マチュピチュをたっぷり見るためです。
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"エル・マピ・ホテル"の前の通りを下って行くと間もなく、余り広くない、アルマス広場に出ます。この周りには
教会、市庁舎、市場、学校などがあります。
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市場では、豊富な果物が一杯売られていました。また、マチュピチュ駅近くには、工芸品などの
土産屋が沢山ありましたが、残念ながら写真はありません。 |
これは肉を売る市場ですが、アマゾン川から一定の風が常に吹いていて、蠅など不潔な虫が繁殖することがないということでした。
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夜になると毎晩がお祭りでホテルの前の道路は楽器を持った人たちが行列となって街中を練り歩き、
これらの費用は村の予算で賄われているというのです。
| 朝になるとホテルの前の通りにはラサール校へ通う子供たちを見ることができます。学費も一切、
村の予算で賄われているというのです。
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いよいよ世界遺産マチュピチュMACHU PICCHUの案内です。"空中都市あるいは失われた都市"は、スペインによりインカ帝国が
征服されても、無傷のまま残され、1911年アメリカの歴史学者ハイラム・ビンカムによって発見されるまで草に埋もれた廃墟になっていました。
遺跡は、標高2,940Mのマチュピチュ山と2,690Mのワイナピチュ山を結ぶ尾根にまたがり、断崖と尖った山々に囲まれ、遥か
下を流れるウルバンバ川流域はジャングルであり、麓からその姿を確認することができないことから"空中都市"と呼ばれています。
"世界遺産マチュピチュ"の歩くルートは略決められていますが、全貌を知って頂くため、観光モデルコースを"地球の歩き方
ペルー"(ダイヤモンド社)からお借りし、掲載します。これからの説明の名称や所在位置の参考にしてください。

マチュピチュ村に着いて、標高差約400M、バスで約30分くねくねとイロハ坂の様なハイラム・ビンガム・ロードを登ったところに遺跡入口はありました。
このツアーは、世界遺産マチュピチュを十分見ようという意図で、午前中と昼食を遺跡入口近くにある、サンクチュアリ・ロッジでとった後、再度入場し、
夕方まで見物するように計画されていました。午前中は、午後はクスコへ移動する観光客も多く、混む時間帯に当たりました。天候に恵まれた事は、非常に
幸運であったと思います。先ずは、午前中の観光から紹介しましょう。
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バスから降りていよいよマチュピチュの全貌が見える前にガイドの松尾さんは
指をさしながら、『柵がない個所が随所にあり、何時急峻な谷間に落下するか?分からないので、自分で命を守ってください。』と
呼びかけていた。
| いよいよ世界遺産マチュピチュに近づいて、石垣が見えてきました。
その右側には、落差が400Mもある下にウルバンバ川が見え、山々の険しさを知ることができます。
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遺跡の入り口からしばらく行くと貯蔵庫があり、その手前を左折すると登山を思
わせる坂道があり、これを登るといよいよ世界遺産が姿を見せてくれる。
| 前方に見えるのは見張り小屋で世界遺産の上部に位置して全体を一望
できる場所にある。その下にジャガイモやトウモロコシを栽培したとされるアンデネス(段々畑)が続いている。
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見張り小屋近くからワイナピチュ山(標高2,690M)を背景に好天に恵まれた
世界遺産マチュピチュ全景を撮った写真です。
| 左の写真からやや低い位置から、ワイナピチュ山を背景に世界遺産
マチュピチュ全景を撮った写真です。
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ワイナピチュ山を背景に好天に恵まれた世界遺産マチュピチュ全景をパノラマで撮った写真です。
雲が多いため、周囲の高い山の様子が見えませんが、プトウクシ、ヤナンティン、サン・ミゲールといった、4,000〜6,000M級の
高峰が聳え立っているとのことです。
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市街地入口近くから 太陽の神殿の周囲 |
見張り小屋と市街地 入口との落差 |
南側斜面も随分下に 伸びる段々畑 | ワイナピチュと遺跡 全体を見る |
手前に石切り場、奥に 主神殿が見える |
上の小さな写真をクリックすると、下の窓に大きな写真が出ます。
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午前中は、好天の中マチュピチュの中心地を急ぎ足で訪れ、13時過ぎまで全体感を掴みました。昼食のため、遺跡の入り口にある、唯一の
マチュピチュ・サンクチュアリ・ロッジの戻り、14時半頃まで過ごし、再び遺跡に入りました。以下は、主な見所を紹介します。
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太陽の神殿 |
太陽の神殿裏にある 美しい壁 |
ずれた石垣の隙間 は局面で接合 | 主神殿の右側に石垣 の崩れが見える |
主神殿前の真南を向く 四角形の石 |
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インティワタナ(日時計) |
聖なる石 |
遺跡下方から見上 げる風景 |
天体観測の石 |
コンドルの石 |
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マチュピチュは、午後から夕方暗くなるまで見物した後は、バスで下山し、エルマピ・ホテルで食事をとり、ホテル近くの
土産屋などを散策しました。既に、写真でご紹介したような、楽団が街をねり歩くような、祭りで夜のマチュピチュの街は
盛り上がっていました。次の日(4日目)は、展望車やバスを乗り継ぎ、クスコへ行き、ここでガイドの松尾氏とはお別れになりま
した。その後、飛行機でリマのシェラトン・ホテルへ戻り、ホテルで食事をとりました。
次の日は、ナスカの地上絵を見るグループとリマ観光をするグループに分かれ、我々は迷わず、ナスカの地上絵を選択しました。
世界遺産ナスカ NACSCA
紀元前後〜800年頃にかけて、海岸から80KM程の乾燥地帯に地上絵で知られる文化が栄えていた。 ナスカの人々は、
大平原に直線、三角形の図形、動物、魚、植物などの絵を描いた。 それも空中からでしか分からない、巨大なものを、誰が、何のために、
どのようにして描いたか?謎は深まるばかりである。確実に言えることは、絵は大平原を覆った黒い石や砂をどけて白っぽい地面を出すことによって
描かれているということ、そして年間を通じて雨が降らない気候が現在まで残したということ、位である。 ナスカの地上絵は、多くの文書が
あるので、それらを参考にして頂きたい。旋回しながら地上絵に接近するセスナから地上絵を識別してシャッターを下ろす作業は、窓から突然対象
物が現れるので、なかなか難しい作業であった。
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ナスカ地上絵マップ |
セスナ搭乗前風景 |
"宇宙飛行士"を上空 から撮影 |
着陸後機長と 記念写真 |
リマの新市街 ミラフローレス |
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[エピソード3]
ミラフローレスでペルー最後の夕食(中華料理)をとって、リマ空港へ向かった。今まで一緒に行動したツアーは、帰国のため
@)ヒューストンへ向かうツアー・グループ、A)ロスからリマでツアーに加わった一人、B)我々夫婦はアトランタ経由ロスへ行く
グループ、の3グループに分かれていた。
空港へ着くと@)、A)のグループの便は定刻通りに運行されていたが、B)の我々の便だけが午前1時10分の出発予定が到着便の
遅延で3時間遅れていることが分かった。@)、A)のグループの便は、予定通り出発していったが、B)の我々の便は、午前5時
になって、初めて搭乗案内があり搭乗したが、なかなか出発せず、午前8時になって初めて、エンジン不調のため欠航すると放送
があった。乗客は順次降ろされ、ホテル宿泊券とタクシーの手配をするのでパスポートを持って、手続きをするよう説明があった。
我々夫婦はアトランタ経由ロスへ行く予定をしていたので、DL(われわれは、日本の出発から帰国まで、同一航空機会社を使用してい
た。)以外の便で直接ロスへ行く便に変更を申し入れた結果、アメリカと南米を中心に運航しているLAN航空に該当便があることが分
かり、直接ロスへ向かう便に変更してくれた。その結果、ルート変更で大幅に時間遅れを取り戻し、
約3時間遅れ位でロスに着くことができた。何とか予定通り行動できないかと努力した結果がが実り、その達成感を味わうことができた。
念願であった、マチュピチュを中心としたペルー旅行を終わってまとめたが、
気付いた点は見直して、更に改善できれば、いいと思っています。読んで頂いた皆様から、いろいろな質問やら、
ご指摘を頂き、今後ペルー旅行される皆様やペルーにご関心をお持ちに皆様に、少しでも参考になれば幸甚です。
忌憚のないご意見をお待ちしています。
平成28年3月12日
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